ピラミッド旅行記
<作成中>5回目のエジプト☆観光した新婚旅行(3日目・その2)(by A-ROD13さん)
ピラミッドとスフィンクスを見た私たちは、その後エジプト考古学博物館へ。
エジプト・神秘への旅・・・ギザのピラミッドが見たい(by alpsmakiさん)
ロンドンの大英博物館でエジプトコレクションを少し見学してから空路カイロには夜遅く到着した。巨大なピラミッドはカイロ市内から10キロ余りのギザ市にある。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドは完成時の大きさの順にそれぞれ第一、第二、第三ピラミッドと呼ばれる。
現在は頂上が風化によって欠け、カフラー王のほうがクフ王のものより大きい。クフ王のピラミットは二トン半の石材230万個もつかわれ、10万人の労働者が20年を費やしたそうだ。
石もどこから運ばれたのか?三つのピラミッドの東側にはスフィンクスが構えている。ピラミッドを盗人から守る番犬のようだ。 イスラーム都市カイロ・・・1979年 世界文化遺産登録。メンフィスとその墓地遺跡(ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯)・・・1979年 世界文化遺産登録。
ストーリー(アメリカ編⑤)(by macteenさん)
ラスベガスのカーニバルを終えた僕は、二日間ほどカジノで遊びまわった。一攫千金を夢見たけれど、結局は小さく二百ドルだけ勝ち、ちょっと洒落たレストランに行ってステーキを食べ、コロナビールをたらふく飲んだ。アメリカに来て、初めてのビールだった。
宿までの帰り道、僕は上機嫌でストーンズの『タイム・イズ・オン・マイサイド』を口ずさみながらダウンタウンを歩いていた。すると、身なりの汚い老人が話しかけてきた。ドロや埃にまみれているせいか、服と皮膚、髪の毛までが同じような色に見える。
「おい、若いの。少しでいいから小銭をくれないか」
僕は、余っている小銭をあげようかと思ったが、こんな時一人にあげると他の奴らも集まってくる。隙を狙われ、鈍器で襲われる可能性もある。僕は申し訳なく思いつつも、足早に立ち去った。
彼らは、路上で、死ぬまでその日のパンのことを考えて生きるのだろうか。一方、カジノにいた金持ちは、死ぬまで自分たちの富を守り、さらに増やすことを考えるのだろうか。
ラスベガスでは、多くの人間が人生を賭け、ある者は成功し、ある者は破滅する。ピラミッドの頂上にいる人間は、下を蹴落とすことを辞めず、必死に上方を睨むチャレンジャーは、ひたすらチャンスを待つ。
終わりのない富の奪い合いの末に、毎日何人もが、暗闇の中で殺される。新聞には、明け方に路地裏で発見される射殺体についての小さな記事が載っている。数行で片付けられる男の死の裏には、ひとつの小説に足るドラマがあるのかもしれない。
僕は、金は欲しいけれど、できる限り金のことを考えずに生きたいと思った。僕が考えていたいのは、これからの未来にどんな楽しいストーリーを綴るかということだけだった。
翌日、二日酔いのままバスに乗り込み、アリゾナへ戻った。カーニバルはすっかり完成されていた。十日前に見たときは、辺り一面トラックしかなかったが、その景色はすっかり変わっていた。
カーニバルには、おおまかに三つの仕事がある。一つ目は、ジェットコースターや観覧車などの『ライド』(乗り物)。二つ目は、僕がラスベガスで働いていたような『フード』(飲食)。そして三つ目、『ゲーム』こそがカーニバル特有のものだった。
ゲームは、日本で言えば、祭りにある射的や輪投げのようなものだった。しかし、それは屋台といった小さなものではなく、鉄パイプの資材を組み合わせ、大きなテントを建てる。そして、すべてのゲームは大きな賞品を持っていて、人々はゲームに勝てばその賞品をもらえる。何かに挑戦することが大好きなアメリカ人にとって、ゲームはカーニバルの醍醐味なのだ。
僕は、てっきりまた『フード』で働くことになると思っていたのだが、ヒッピーに命じられたのは、バスケットボールの『ゲーム』だった。そして、良しか悪しか、一緒に働くことになったのは、またまた変わった連中だった。
僕の同僚(ブラザー)は四人いた。一人目は、ヒスパニック系のニック。十八才になったばかりの悪童だ。背はどちらかと言えば低い方だけど、凛々しい口髭と青茶色の瞳を武器に、客の女の子をナンパするのが趣味だ。ヒスパニック系の2PACシャカールといった雰囲気を持つ。
ニックの両親は共にカーニーで、すでに十年以上働いているらしい。ニック自身も、高校を退学になってからずっとカーニバルで働いている。退学になったのは、教室でマリファナを吸っていたのを教師に見つかったからだ。その後、一度ピザのチェーン店でアルバイトをしたが、さぼっているところを店長に見つかり、口論になったあげくピザソースをぶちまけてクビになったらしい。
ニックはカーニバルにいても問題行動が多かったが、なぜか僕とはウマが合った。彼はヒップホップが好きで、Ice-Tとスヌープドックを崇拝していた。特にスヌープドックに関しては全て歌詞を覚えていて、彼特有の言い回し「Yo shizzle Ma nizzle」がいかにクールかと説いた。酒を飲み酔っぱらうと、僕のことを「糞(ファッ)日本人(キン・ニップ)」と呼びケンカになったが、それ以外はうまくやっていた。
二人目は、クレイジーエディ。名前の通り、彼はクレイジーである。顔はレッチリのベース、フリーに似ていて、格好がとにかく汚い。カーニバルから支給された真っ赤なポロシャツは、洗っていないために錆びたポストのような色になり、週に七日は穿(は)いている半ズボンのジャージは、ゴムが切れてよれよれになり、ずり下がっていた。しかもエディはパンツを穿(は)かないため、いつも汚い半ケツが顔を覗かせていた。
不潔極まる身だしなみもそうだが、彼の行動もまた、クレイジーだった。急に鼻息が荒くなり、動物のような仕草で体を掻きむしる。トラックの中など狭いところにいると突然、「落ちる落ちる!」と叫びだした。ニックはそれを聞いて、「はは、そうだろ、地獄に落ちるんだろ」と野次を入れてからかった。僕は、ポカンとしてその様子を見ていた。毎日のようにその情景を目の当たりにし、次第に自分の道徳観が欠落していくのを感じた。
三人目はジェフという中年の男だ。カナダ出身で、ベーブ・ルースのように身体がでかい。だが、でかいのは身体だけでなく、態度もだった。彼はジョイントのリーダーでもないが、とにかく仕切りたがり屋で、僕らはみなうんざりしていた。むさ苦しい口髭の下から発せられる言葉は、利己的な満足に溢れていて、それは高校時代にいた空気の読めない歴史の教師を思い起こさせた。僕はできるだけ楽しく仕事がしたかったが、彼はことごとくそれを妨害した。
最後、四人目は、ショーティ(shorty)と言う、名前の通り小さな男だった。背は一五〇センチ程度しかないだろう。彼は、「アメリカ人はでかい」という日本の固定観念をぶち壊してくれそうだ。顔は、マイケル・J・フォックスに似てなくもない。年はまだ三十を過ぎたところだが、酒とタバコをやりすぎたせいか随分老けて見える。話好きで、新入りの僕にも真っ先に話しかけてきた。そんなショーティは、僕の名づけ親だった。
「ヘイボーイ、名前はなんて言うんだ?」
「シンイチロウ、マキタです」
「なんだって?」
「いや、だからその、マキタでいいです」
真一郎という名前をはっきり言える外国人は少ない。覚えてくれるのは、よほど僕のことに興味を持ってくれる物好きか、言語オタクかのどちらかだろう。
「そうかそうか。じゃあマキータにするか。いや、マッキータ、いや、マックティーンがいいな」
「はぁ」
「そんで、どっから来たんだ?」
「日本ですよ。東京から二時間くらい離れた群馬って言う……」
「はっはー、そうかそうか。トウキョウ。おまえは、トウキョウから来たマックティーンだ!今日からおまえの名前は『トウキョウ・マックティーン』だベイべー!」
「ちょっと」
僕の静止も聞かず、彼は勝手に決めたネーミングを広めて回った。
「ようみんな。こいつは、『トウキョウ・マックティーン』って言うんだ。よろしくしてやってくれ」
大袈裟なネーミングで紹介されるのが恥ずかしかったが、次第に、悪くもないか、と思うようになった。こうして僕は、『トウキョウ』もしくは『マックティーン』と呼ばれるようになり、アリゾナでのカーニバル生活を始めることになった。
2007エジプト旅行記(by ありさん)
2006年12月27日から2007年1月8日まで。世界3大遺跡の一つエジプトを訪ねた。ヨーロッパ経由でカイロまでの道のりは遠く、エジプトについてもカイロから南端のアブシンベルまでは陸路で1000kmを超える実に長い距離である。 12日間もあれば、他にも寄り道(紅海とか西方オアシスとか)できるかもと思ったが、国内移動は思いのほか時間がかかり、また見所も満載なので、遺跡のハイライトを順に回るだけで精一杯であった。
day 0 エジプトへ
day 1 カイロ・エジプト考古学博物館
day 2 ギザ周辺のピラミッド群
赤のピラミッド、屈折ピラミッド、階段ピラミッド、ギザのピラミッド群とスフィンクス
day 3 ルクソール東岸
カルナック神殿、ルクソール神殿を観光。
day 4 ルクソール西岸
王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿を観光
day 5 アスワンへ
エドフ=ホルス神殿、コム・オンボ神殿、アスワンのスークとナイル川遊覧。
day 6 アブシンベル宮殿
day 7 アスワン近郊
イシス神殿
day 8 カイロの夜
ナイル川クルーズを堪能。
day 9 オールドカイロとイスラム歴史地区
day 10 ギザのピラミッド再訪
day 11-12 帰国の途
元blogはこちら
http://www.ari3.net/2007egypt/index.html
中南米の旅・思い出のアルバム ボリビアのティワナク遺跡(by さすらいおじさんさん)
ティワナク遺跡はラ・パスから72キロ、チチカカ湖から10キロの地点にある世界遺産でツアーで見学した。バスが途中ヨコヨコの丘に寄り、きれいなアンデス山脈と10キロ先のチチカカ湖がうっすらと見えた。ティワナク遺跡は2006年時点で30%しか発掘されておらず謎が多い遺跡だが、紀元前1000年頃からインカ帝国に滅ぼされた1200年代まで2000年以上続いた大国だったと推測されている。遺跡はかなり破壊されていたがティワナク博物館はかなり充実していた。7.5mのモノリート(立像)「ベネット」、初期のエジプトの階段ピラミッドに似た、高さ15m、210m四方のピラミッド・アカパナ、半地下神殿の180個の表情の異なる人間の顔、半地下神殿の門から見えるモノリート・ポンセの石像があるカラササーヤ、ピラコチャの神と48の鳥人が彫刻された太陽の門などを見学したがティワナク遺跡はプレ・インカ文化と言われている。ペルーのクスコで見た精巧な石組みが既にティワナクで見られるし太陽の門の鳥人、半地下神殿の人間の頭部、蛇の崇拝などは、メキシコのアステカ、マヤ遺跡で見たものと類似しており、インカだけでなくアステカ、マヤなど中南米全体の文化に影響を与えたのではないかと想像したものだが今後の発掘で南米の歴史文化の新発見があるかも知れない。
関連旅行記-中南米・バックパッカーの旅【11】 ボリビアのティワナク遺跡―
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10056922/(写真はティワナク遺跡)
ピラミッドに関する質問
生態ピラミッド
まず生態ピラミッドとは何ですか?どのようなことを指すのですか?また、生産ピラミッドを個体数でみたとき、上段の方が下段のものより多い逆ピラミッド型になるのはどんな時ですか?教えて下さい。
エジプトのピラミッド
エジプトのいろいろなピラミッドについて調べています。ですが、メイドゥムのスネフェル王の「崩れピラミッド」、ダハシュールの「屈折ピラミッド」の寸法が分かりません。ご存知でしたら、底辺や高さだけでなく、底辺から段になっているところや屈折し
世界の人口ピラミッド
こんばんは。人口ピラミッドについてなのですが、発展途上国の人口ピラミッドは富士山型で日本のような先進国はつぼ型とありますが、釣鐘型の国はどこでどういった国でしょうか?ウィキには例として韓国となっていましたが韓国は星型?では
世界のピラミッド
私は世界中に散らばっているピラミッド(ピラミッド型の建物)についてしらべたいと思っています。エジプトや南アメリカのピラミッドについての書物は結構見つかるのですが、それ以外の場所にあるピラミッドについて書かれている本が中々見つかりま
生態ピラミッドについて
生態ピラミッドには個体数・生体量・生産量ピラミッドがありますが、個体数ピラミッドの場合、例えば大木に幼虫がいっぱい生活しているときはピラミッド型になりません。寄生の場合もなりません。しかし生産量ピラミッドは例外なくすべて
ピラミッド関連エントリー
南米ピラミッド
... サムライJAPANのオーストラリア戦を見たり、その後も南米ピラミッドの謎に迫る番組を見入ってしまいました。 最近、嫌なニュースばかりですので、こういう内容の番組を見ると何だか現実社会のことなんてどうでも良く思えてきます。 ...

第311話 人口ピラミッド
... 教材に時々取り上げられるのが人口ピラミッドだ。このことを知っている人は相当の地理オタクとも言える。 私が中高生の頃、日本の人口ピラミッドは釣鐘型だと教わった。今は超つぼ型だ。経済の発展過程でピラミッド型→釣鐘型→つぼ型に変わってゆく。 ...

将棋界のピラミッド
ハックルベリーに会いに行くさんの「将棋A級順位戦の魅力」 という記事に触発され、「将棋界のピラミッド」なるものを勢い作ってみました。 後悔はしていない。 続きを読む

【科学】ミクロサイズの銀製ピラミッド…… 造形技術を理研 ...
ナノサイズの銀製ピラミッド… 造形技術を理研が開発 ナノメートル(ナノは10億分の1)サイズの立体構造を持つ ... 照射して4本脚で立つ高さが約500分の1ミリ・メートルのピラミッド形の立体部品を作るのに成功した。 これまでの技術では ...

大ピラミッドの上の教会
大ピラミッドは雨の神を祭る神殿ピラミッドだったと。 そして、今あるロス メンディオス教会でも、土地の人は雨を願うそうだ。 オラ!メヒコ (角川文庫) 応援クリックしてね!ありがとう!

ピラミッドとは?
ピラミッドは、エジプトや中南米等に見られる四角錐状の巨石建造物の総称。また、同様の形状の物体を指す。その形から嘗ては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。
古代エジプトにおけるピラミッドは、ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷の築いた墓 王墓とされてきたが(“奴隷”の記述は階級闘争を進めるソビエト連邦 ソ連の教科書に初めて記述された)、一人の王が複数のピラミッドを築いていることや内部からは墓としてのミイラがまだみつからず、多くのピラミッド建造に関わったとされる住居跡から豊かな生活物資や住居人のミイラ(身分が高くないとミイラにはされない)が発見されたことなどから、農閑期における公共事業説がほぼ定説となっている。語源はギリシア語で三角形のパンを指すピラミス(πυραμίς ”pyramis” ピラムス、ピューラミスとも)。古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていた。
ピラミッドの詳細